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原千晶さん「2度の子宮がんを経験した私が伝えたいこと」

30歳で子宮頸がん、35歳で子宮体がんと診断された女優・タレントの原千晶さん。好調だったテレビの仕事にブレーキをかけ、さらには子宮全摘によって「出産」という選択肢をあきらめざるを得なかった原さんは、その後の30代、40代の時間をどんな思いを抱えて過ごしてきたのでしょうか。

自身のつらい経験を糧に変え、患者同士が話せる場「よつばの会」を通じて啓発活動を続ける原さんに、当時の心境といまについてうかがいました。

原 千晶さん

1974年生まれ。20歳で芸能界デビュー。アロマインストラクターとしても活躍。子宮がんを患った経験から婦人科がんの患者会「よつばの会」を設立、代表を務める。がん啓発講演会など精力的に活動している。最近、熱中している趣味は海釣り。

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INDEX
生理が重いだけだと思っていた
悩んで揺れて、それでも「全摘」に踏み切れなかった
「もう逃げない」患者スイッチが入った瞬間
傷の舐め合いでもいい。「よつばの会」を立ち上げるまで
もうすぐ50代、毎日がすごく充実しています

生理が重いだけだと思っていた

 
―原さんが子宮頸がんと診断されるまでの経緯を教えていただけますか。

原さん:私はもともと生理痛がひどくて、10代のころからずっと鎮痛剤が手放せないタイプだったんですね。「厄介だな」という気持ちはつねにありましたが、20歳で芸能界に入ってからは、仕事が忙しすぎて自分の体をケアするような余裕がまったくなくて。

生理痛はひどいけれど、20代だから、やっぱり普段は元気なんですよ。元気なことのほうが当たり前で、自分はこれからもずっとそうなんだと思い込んでいました。

ところが20代後半になったころから、元からひどかった生理痛がより重くなって、あまりの激痛でドラマの撮影現場でも倒れてしまうほど悪化したんです。PMS(月経前症候群)のようなイライラも出てきたり、不正出血があったりと、なんだかいままでとは違う、変だなと感じるようになりました。

 
―生理周期に関しても、以前から不順だったなどの悩みはありましたか?

原さん:いえ、それが生理周期はすごく正確で、30日周期でいつもきっちり来ていたんです。それだけが安心材料というか、「生理はきちんと来ているのだから病院に行くほどではない」と思い込んでしまったんですね。

でも、次第におりものに血が混じってドロッとした不正出血が起こるようになって、おりものシートを1日に何枚も替えても追いつかない日が続くようになってしまって。

30歳になってしばらく経ったある日、久しぶりに会った友人にそのことを話したら、「千晶ちゃん、すぐ病院に行って。『いつかは赤ちゃんを産みたい』って前から話していたでしょう」と強く言われたんです。

―独身・既婚に関係なく、出産を希望するのであれば、女性はそのことを真剣に考え始める時期でもありますよね。

原さん:はい。私は当時独身でしたが、以前から結婚願望が強くて、子どもは2人くらい欲しいなと漠然と考えていました。でもその時点では、自分の体のことをまったく深刻に考えていなかった。友人の言葉に後押しされて行ったクリニックで、「子宮の入り口に腫瘍があるので、大きい病院で検査してもらって」と医師に言われたときも、「ここで話が終わらないのは面倒くさいなぁ」が本音でした。

検査の結果、診断のために円錐切除の手術(子宮頸部円錐切除術)を受けることになっても、開腹しない簡単な手術だったので全然心配はしていませんでしたね。手術も無事に終わって3日経ったら元気に退院できたし、腹痛や出血も止まったので「これで楽になった~」と思っていたくらい。

でも2週間後、検査の結果を聞きに病院を訪れたとき、「子宮頸がん」と宣告されて頭の中が真っ白になりました。一緒に説明を聞いてくれた母も、もう衝撃で固まっちゃって。

「転移すれば命に関わるので、子宮を全部取ったほうがいい」と医師から言われた瞬間、涙がわっと出て止まらなくなったことを覚えています。

「どうしてこんなになるまで放っておいてしまったんだろう」と自分を責める気持ち、「なんでこんなことに?」という混乱、隣にいる母に孫を見せてあげられないかもしれないことの申し訳なさ、子宮を取ってしまったら女性としてどう見られるんだろうという不安……。いろんな気持ちが複雑に混ざり合っていましたね。

悩んで揺れて、それでも「全摘」に踏み切れなかった

 
―医師から子宮摘出を強く勧められたものの、悩んだ末に摘出を見送る決断に至ったのはどんな心境からだったのでしょう。

原さん:父や母、友人たち、事務所のスタッフ、周囲の誰もが100%、「つらいことだけど、子宮を摘出して元気になろう。あなたが生きていてくれることが一番大事」と励ましてくれたんです。

そう言われるたびに私も「そうだよね」とは思うんですが、翌日には「いや、でもやっぱり」と振り子のように気持ちが揺れてしまう。1、2週間くらい悩みに悩んで、一度は摘出手術を受けますと医師にも告げたのですが、手術日が近づくにつれて、「やっぱりいやだ!」という気持ちに振り切れてしまって。

結局、毎月病院で検査を受けることを医師と約束して、摘出を見送ることにしました。あのときの心境は、いまでも言葉にできないし、誰かと共有することも難しいですね……。

ただ、ひとつだけ、当時の自分を振り返ったときに後悔していることがあるんです。あのときの私には、正しい知識が欠けていた。それが一番大きな反省点です。

―正しい知識とは、子宮頸がんに関する正しい知識という意味でしょうか。

原さん:はい。子宮頸がんは性行為、つまりセックスによるウイルス感染が原因のがんです。性交渉を一度でもしたことがある女性なら、誰でもなりえる病気です。でも当時はセックスで感染する事実だけが切り取られて、「性に奔放な女性がかかる病気」という誤解や偏見に基づいた情報が、ネットを検索するとたくさん出てくる状況でした。ショックでしたね。

それまで私は何人かの男性との交際経験があって、誰とお付き合いしているときも真剣でした。本当に好きだったから心を許したし、体も許した。でも子宮頸がんになってしまったことで、過去の自分はもちろん、相手も否定されたようなつらさや後ろめたさがありました。

だから、目を背けて逃げてしまった。

腫瘍だけを取って子宮を残した手術のあと、必ず来るようにと言われた毎月の定期検診に行かなくなったのも、逃げたい気持ちが大きかったからです。「大丈夫、体調もいいし」「生理もあるから」と自分に都合のいいように考えて、言い訳を並べて、現実に向き合うことから逃げてしまった。

でもやっぱりだめでしたね。最初の手術からあと2か月で5年だという35歳のタイミングで、ふたたび体調が悪化してしまい……。それまでお世話になっていたところではなく、別の大学病院で今度は子宮体がんと診断されました。

診察を受けてすぐに、前回とは違う悪いがんが目に見える限りぶわーっと広がっていることがわかったんです。「転移しているでしょう」と告げられて、怖くてボロボロ泣きましたね。逃げ続けた自分の勇気のなさを痛感したし、恥じました。

「もう逃げない」患者スイッチが入った瞬間

 
―2回目の子宮体がんの手術では子宮と卵巣をすべて摘出し、術後は抗がん剤治療も受けたそうですね。

原さん:医師から「手術後は抗がん剤治療に入ります」と告げられた瞬間、「あ、マジなやつだ」と思っちゃったんですよ。不謹慎な言い方なんですけど、自分の身に現実に起きていることだと思えなくて。

そのときの担当医は以前にもお世話になった医師で、「何年も定期検査をサボって、こんなことになってしまって本当すみませんでした」と謝るしかなくて。でもその医師が「大丈夫、助けてあげるから」と目を見て力強くおっしゃってくださったんですね。

本来であれば医療従事者の方が軽々しく言えるセリフではないですよね。保証もないし、絶対なんてありえないから。でも、そのときの私は医師の言葉にすごく救われました。人間として向き合ってくれるんだ、励まそうとしてくれているんだ、という誠意がすごく伝わってきて、氷が一気に溶けるように気持ちがふわっと楽になりました。

原さん:そこからは患者スイッチがバンッと入って、つらい抗がん剤治療もなんとか乗り切ることができました。私のがんはステージⅢまで進行してリンパ節にも転移していたので、術後はむくみとの戦いもありました。ステロイド剤を大量に投与して顔がバーンとむくんだし、15kgくらい体重も増えてしまった。もちろん、いま元気でいられることを思えば、なんてことない出来事なんですけどね。

ただ、抗がん剤治療の最中は、気持ちの浮き沈みが本当に激しくなりましたね。真っ暗な部屋でずっと携帯をいじって「子どもがいない人生」みたいな本をネットで注文して一気読みしたかと思えば、翌日には躁状態になって友達との約束や予定を入れまくったり。

そんな浮き沈みを繰り返しながら、少しずつ日常へと戻っていきました。

傷の舐め合いでもいい。「よつばの会」を立ち上げるまで

 
―その後、子宮頸がん、子宮がん、乳がん、卵巣がんなどの女性特有のがん患者さんが集まって、情報や思いを共有する場「よつばの会」を立ち上げられましたね。ご自身の体と心が回復していく過程で、どんな心境の変化があったのでしょうか。

原さん:あるとき年上の友人と久しぶりに会ったんです。その方は既婚でしたがお子さんがいない女性だったので、私も気が緩んで「子どもが産めない体になっちゃいましたよ~」とポロッと弱音を吐いてしまったんですね。

それに対して彼女はこう言ったんです。

「私はいま、母を介護しているんだけど、ごはんを食べさせたり、おしめを替えたりしていると、不思議なことに母が自分の娘みたいに思えるの。お母さんが私に、母親の役をさせてくれるんだよ。

千晶ちゃんもいまはまだ、大きな穴をどう埋めていいかわからないんだと思う。悩む気持ちはすごくわかるよ。でも大丈夫。その穴は、いつか絶対に別のなにかで埋まるはずだから。楽しみだね」

それを聞いて目からウロコがボロボロ落ちたし、前を向く力が戻ってきたんです。当事者同士が気持ちを話し合える場として「よつばの会」を立ち上げたのも、振り返ればそのときの言葉のおかげかもしれません。

―2011年に初開催した「よつばの会」の輪はどんどん広がっていき、これまでに延べ650人のがん患者さんが参加されたそうですね。

原さん:最初は「傷の舐め合い」と言われるかもしれない不安もあったのですが、女性同士っておしゃべりで気持ちを伝え合うことで、納得できたり、心を落ち着かせたりするのが上手ですよね。そういう場になればという思いがあったし、なによりも私自身がいろんな女性たちと会って話がしてみたかった。

そういう地道な活動を続けていくなかで、少しずつメディアに取り上げていただく機会も増えたのですが、NHKの番組で取り上げられたときに、ある人がツイッターに「原千晶さんは『母親になれなかった』って番組で寂しそうに言ってたけど、彼女は『よつばの会』の立派なお母さんだよ」と書き込んでくれたんですね。

その言葉が本当にうれしくて……。胸に空いていた大きな穴に、スポーンってなにかが新しく入ってきた。そんな感じがありました。

もうすぐ50代、毎日がすごく充実しています

 
―原さんがご自身のつらい経験を多くの方と分かち合ってくれることによって、助かる命もきっとあると思います。今後、「よつばの会」としてどんな活動されていく予定ですか。

原さん:コロナ禍でずっと休止状態にあった「よつばの会」の活動をそろそろ再開させて、女性特有のがん患者さんたちが集まれる場を今後もまた広げていけたらと思っています。もちろん、婦人科がんについて知ってもらう啓発活動もライフワークとしてずっと続けていくつもりです。

ただ、過去の自分を振り返るとわかるのですが、啓発活動ってすごく難しいですよね。20代の若いころは実感を持てないし、30・40代は仕事や育児で忙しくて自分のことを後回しにしてしまいがちですから。

でも、あなたが検診に行かなかったことで、もしある日突然倒れてしまったら。あなたの大切な人たちの笑顔もきっと消えてしまう。私はがんになって悲しいこと、つらいことをたくさん味わってきましたが、一番つらかったのは、自分の大切な人たちに悲しい思いをさせて巻き込んでしまったことです。

その重さは、いまもずっと変わらずにあります。

だからこそ、不調を感じたらできるだけ早く病院に行ってほしいし、検診もきちんと受けてほしいですね。

―最後に、これからの人生でやりたいことを教えていただけますか。

原さん:ずっとお休みしていた芸能のお仕事も、またやってみたいですね。もうすぐ50代になるいまだからこそできることもあるかもしれないので、あらためて力を入れていきたいです。

プライベートでは、いまは釣りに夢中なんですよ。週に1回は釣りに行かないともう我慢できない体になっちゃって(笑)。釣る時間帯を変えてみたり、餌や仕掛けを変えてみたりと、いろんな工夫をして、それが当たるとちゃんと釣れるのがもう楽しくて仕方ない。アジを50匹釣れる日もあるんですよ!

夢中になれる趣味も見つけられたし、いまは毎日がすごく充実しています。

そうだ、最近、人生の特典をもうひとつ見つけたんですよ。それは「私はずっと子どもでいていいらしい」ということ。私の母も、夫の母も、私のことをすごくかわいがってくれるし、甘やかしてくれるんです。友達には呆れられてますけどね(笑)。でも私は親孝行をうんとして、これからもとびきりかわいい「子ども」でいようと思っています。

 


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20~40歳代女性の間で近年増えている、「子宮頸がん」。多くのがんは加齢とともに発症率が上がっていきますが、このがんは「若いうちから注意したいがん」の1つです。

海外では予防ワクチン(HPVワクチン)の導入が進み、罹患率が低下している国もあります。しかし、日本ではワクチン接種が進んでおらず、年間で約1万人が新たに子宮頸がんを発症し、約2,900人が亡くなっています。病気の進行度によっては、子宮全摘出という決断を迫られる場合もあります。どうしたら自分の身を守れるのか。子宮頸がんという病気や予防のためのHPVワクチン、子宮頸がん検診について理解を深めてみませんか。
https://helico.life/series/healthcare-cervicalcancer/
CREDIT
取材・文:阿部花恵 写真:小野奈那子 編集:HELiCO編集部+ノオト
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